2014年2月26日水曜日

肉体とのつながり


2013年3月22日

これは録音したものを書きおこしているのではなく、後で思い起こしながら書いているので、主旨は変わってはいませんが、実際とは微妙に違っています。また、その場のエネルギー伝達も、とても同じようにはいかないことを、ご了承ください。

 なお、文中の***の時に、沈黙の中でのエネルギーワークが起こっています。





今朝の外の空気の清々しさと、太陽の光の荘厳さにチューニングして

今、ここにあるエネルギーは、いつでもあなたの周りにあります

太陽の光は、自ら輝き、あらゆる方向へと放射し、あらゆるものを照らし出しています

それにチューニングして

マインドの粗い波動から、自然のエネルギーの波動にチャンネルを切り替えるように

いつでもそれを感じているように

あなたは、太陽の光に全身を包まれています



太陽は、あなたの内側の光の象徴です

やがて、あなたはその光が内側からなのか、外側からなのかわからなくなる

あなたの内側の光が目覚めた時、その光は全てを照らし出し、包み込む

その壮大さがわかるでしょうか?



***



そのエネルギーにチューニングするためには、直観的な力を磨く必要があります

直観的な力は、マインドを介しません

それは直接あなたに入ってきます

肉体の感覚を繊細に感じていく力も必要となります

肉体は、あなたのマインド以上に、たくさんの情報をあなたに与えています

それらの力がないと、たとえあなたがエネルギー的にいい状態にあっても、

自分に何が起きているのかわからないままです

わからなければ、それに何の意味があるのでしょう?



***





あなたは、肉体ともっと仲良くなる必要があります

肉体とのつながりを取り戻す必要があります

あなたの肉体のどれひとつ、

心臓も、肝臓も、目も、手も、足も・・・何かひとつでもあなたのマインドが作り出したものがあるでしょうか?

たったひとつの細胞が、心臓となり、肝臓となり、目となり、手となり・・・数え切れないほどの細胞が、完全な調和の下に、それぞれの役目を果たして働いています

どれほどのことがこの肉体の中で起こっているのか

あなたのマインドの及ばないところで、何かの力によって、それらが全て働いています

それら全てを、マインドが把握することは不可能です

その壮大さがわかるでしょうか?

私たちが今ここに存在しているということそのものが、祝福なのです

身体は、私たちが考えている以上の何かなのです

もちろん、マインドもその一部であり、肉体とマインドはお互いに影響を及ぼしあっています

同じように、あなたという存在は他の全てに影響を及ぼし、他の全てはあなたに影響を及ぼしています

私たちという存在は、考えている以上に、ダイナミックで壮大な働きの只中にいるのです



この皮膚で覆われた肉体は、ちっぽけです

でも、この肉体は地球の一部であり、宇宙の一部です



***



あなたは、肉体との間に遊離があります

長い輪廻の間に、仏教的な修行によって、肉体を否定してきたのでしょう

そのために、かえってあなたはマインドの中でしか生きてきませんでした

それは、姿形はあっても、実体のない幽霊のようなものです

もちろん、肉体は「私」そのものでは、その主体そのものではありません

肉体は、自然に属します



自然には、「今」の瞬間しかありません

花が、過去を悔やみ、未来を心配しているでしょうか?

花は、「今」に根づき、「今」の中で芽を吹き、「今」の中で成長し、「今」の中で花開きます

自然は、ハートの次元と「今」の次元に属しています

それが、この次元で開花しているのです

自然には、美しさと真なるものがあります



あなたが肉体に根づくということは、その自然の一部として生きるということです

あなたは地球になり、宇宙になる・・・



自然が存在している次元

その姿形は三次元に属していますが、その本質はハートと「今」です



肉体に根づくということは、その本質を生きるということです

自然の一部として、それと一体になって生きるということは、その本質を生きるということです

それは、ただ自然の中で暮らしたり、自然と親しくなるだけのことではありません

それが、「ここに戻る」という教えの真髄です

「ここ」は、自然そのもの、宇宙そのもの・・・その本質そのもののことです



もし、あなたが肉体とのつながりを失っていたら、

たとえあなたが覚醒したとしても、それは何か浮遊したものでしかありません

あなたの覚醒は、「ここ」での根を持たないからです

あなたが肉体とのつながりを取り戻す時、

あなたの覚醒は、「ここ」で開花します

あなたは、「ここ」で、開花します



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以前のブログから

 伊豆の自宅で、プライベート・リトリートを行っています。
 プライベートというからには、生徒さんは1人か2人だけで、親密でアットホームな空間で、個人に合わせたリトリートを組んでいます。

 その中で、プレイヤー瞑想というのをしています。
 天の光のエネルギーとつながり、それに満たされていく瞑想ですが、OSHOのプレイヤー瞑想と、フーマンから教わったプレイヤー瞑想をベースに、実際にリトリートの中で行っていくうちに一番パワフルで集中的な形になってきたものです。

 伊豆でのリトリートを始めてから、そのプレイヤー瞑想では様々なことが起こってきました。
最初の頃は、リードをしている私自身に大きな進化がやる度に起こり、たくさんの恩寵を受け取りました。
 やがて、その場にたくさんの肉体を持たない存在たちが訪れてくれるようになりました。そして、様々なサポートを与えてくれたのです。

 最初、そういう存在たちを感じ始めたのは、以前、天使となった雀のヒナのサブレが来た時からでした。
 サブレは、巣から落ちて足を折り、泥にまみれて瀕死だったのを、私が何日も寝ずの看病をして元気になったのですが、ある日突然、肉体を去り、天使となったのです。
(サブレは、天使になるために、私のところにやってきたのだと、マーリンに言われました。このエピソードについては、別の機会に詳しく書きたいと思いますが・・・)
 そのプレイヤー瞑想の時に、あるエネルギー体が、ふっといたずらをするかのように、ちょっとはしゃぎ気味で私の身体の横をすり抜けて行きました。

 その瞬間、それがその天使のサブレであることがわかり、懐かしさとうれしさで、私もいっぱいになりました。
 そして、その天使のサブレが、ある存在を連れてきてくれたのです。
 とても懐かしい、とても近しいエネルギー体でした。フーマンのエネルギーに似ていましたが、フーマンではありませんでした。もっと、私自身のエネルギーにも似ているような感じでした。

 最初はそれが誰かわかりませんでしたが、やがて、それがアマテラスであることがわかりました。
 
 実は、フーマンに、「アマテラスとつながるように」と言われて、伊勢神宮に行ったことがあります。後に聞いたところによると、フーマンはハワイである肉体を持たない女性神から、「日本には私の娘たちがいます。彼女たちを助けて欲しい。あなたは私のエネルギーに似ているから。」と頼まれて日本にワークをしに来たということでした。フーマンは、伊勢神宮に行った時に、初めてその女性神がアマテラスだということがわかったそうです。

 プレイヤー瞑想の時に感じたアマテラスのエネルギーは、フーマンにそう言われて伊勢神宮に行った時につながって感じたエネルギーとは印象が違いましたが、より、確かな感覚で、より近く、より親密にそのエネルギーを感じ、それに包み込まれ、ふるさとに帰ったように、私は安堵し、その愛に満たされたのです。
 それは、本当に心震える、愛と感謝の涙にあふれる体験でした。

 次に心深く揺さぶられる体験をしたのは、イエスが来てくれた時でした。
 イエスに限らず、たくさんのそういった存在たちが来てくれたのですが、やはりイエスが来てくれたことは、私にとって、本当に心強いことでした。
 その存在のエネルギーの強烈さもありますが、私のマインドにとっても、イエスがサポートしてくれていると実感できることは、大きな励みとなりました。
そして、このプレイヤー瞑想のパワフルさが改めてわかりました。

 そして、一番心を深く揺さぶられ、一番、印象強く、心底感動したのは、他の誰でもない、未来の私自身のエネルギー体が来てくれた時でした。

 初めに来てくれた時は、誰かわかりませんでした。アマテラスよりももっと本当に親密で、近しい、本当に近しい感じはわかりましたが、それが誰かという直観的理解ができないままでした。
 でも、そのエネルギー体に包まれている時、それまでにない程の安堵と懐かしさで満たされました。それまでも、もうこれ以上ないと思うほどの安堵や感動で満たされていたのに、その体験は、本当にそれ以上の、言葉では表現できない体験でした。
 初めて、神と直接顔と顔を向き合わせ、一体となった時もそうでしたが、その時も言葉にしようとしても、とても表現しきれない素晴らしすぎる体験でした。

(こういう時、言葉がどれほどつまらないものか、本当に深く実感します。それを言い表せる言葉を探してもなく、かろうじて言葉にすれば、それはあっという間に制限され、縮こまってありふれた、まったく陳腐なものになってしまうのです。一番近く表現しようとすれば、詩になるしかないのでしょう。ルーミーなど、詩人であったことがよくわかります。)

 そのエネルギー体が次に来てくれた時に、初めて、それが未来の自分自身であることがわかりました。
その感動がわかるでしょうか? 本当に不思議な、この上なく歓びにあふれる体験でした。

 こういった体験が毎回毎回起こり、リトリートでのプレイヤー瞑想はどんどん進化していったのです。
 それらの肉体を持たない存在たちが、私とリトリートの場を整えてくれたのでしょう。

 そして、次の段階では、肉体を持たない存在たちが来るというより、神との一体の中で、ガイダンスが来るようになりました。
 それまでも、ガイダンスは来ていましたが、まだ、実際に言葉には出していませんでした。
 言葉にして出すことによって、より強いつながりの中で、それが起こるようになっていったのです。

 そして、毎回毎回、ベースは同じでも、違うエネルギーの場になるようになり、そこにいる生徒さんのその時に合わせたガイダンスが来るようになりました。

 そして、ガイダンスを伝えている時もエネルギーの伝達は起こっていますが、言葉で伝えることが収束した後、沈黙の中で素晴らしいエネルギーワークが起こるようになりました。
 それらは、私の意思とは全く関係なく、もちろん、私も完全に集中して、フォーカスしていますが、むしろ私を通して、大いなる存在がワークを行っている、という感じです。
 沈黙の中で、何やらワーッと、パワフルに、エネルギーワークが起きているのがわかり、それは、私にとっても、素晴らしい、本当に興味深い体験です。
 具体的に生徒さんの何にどう働きかけているのかは、わかる時とわからない時がありますが、いずれにしても、何か、そこで必要なことが全てなされている、という実感を持ちます。

 この、エネルギー伝達とエネルギー的ワークが、ここでのプレイヤー瞑想の真骨頂です。

 この段階になってから、プレイヤー瞑想が本当に楽しく、楽になりました。
 私が何の準備をしていなくても、直前まで、食事の支度をしていたり、洗濯物を干していたり、庭いじりをしていたりしても、その場に立ったとたん、そのスペースに入り、そのエネルギーとつながり、ガイダンスの導きで、必要なことが起こるようになったからです。
 毎回毎回、今日は何が起こるのか、本当に楽しみです。

次回のブログから、そのガイダンスを少しずつ紹介していけたらと思っています。

プレイヤー瞑想

私たちの行っているリトリートや1デイリトリートでは、
ハートの瞑想のひとつとして、
プレイヤー瞑想を取り入れています

プレイヤー瞑想は、もともと、インドの神秘家OSHOの作った瞑想法ですが、
スーフィーを起源としているのでしょうか?

そのOSHOの作ったプレイヤー瞑想がベースなのか、
あるいはスーフィーのものをベースにしたのかはよくわかりませんが、
フーマン自らがアレンジしたものを私たちに教えてくれました

私たちのリトリートでは、
そのフーマンアレンジのプレイヤー瞑想を行っています

それが、リトリートで行っているうちに、
様々な存在たちのサポートを受け、
様々な進化を遂げ、今の形になっていきました

これもまた、変化していくかもしれません

このプレイヤー瞑想をリードしていくうちに、
ガイダンスを受け取るようになりました

その場にいる生徒さんに合ったガイダンスがやってきます
それは、様々な形で現れます

ある時は『最愛なるもの』の愛や神聖さ、深遠さのエネルギーを伝え、
ある時は浄化を行い、
ある時はエネルギーワークを行い、
ある時は理解をもたらすよう、語りかけ、
ある時は魂に直接イニシエートします

そのガイダンスを私が言葉として表わしていますが、
一番重要なのは、実は言葉と言葉の合間に、
沈黙の中で、伝達しているエネルギーなのです

沈黙の中で行われている、エネルギー的な働きかけなのです

それらは、私の意志で行われているものではなく、
私を通して、存在が行っているものです

そのため、私にも、何が起こっているのか、
明確にはわからない場合もよくあります
でも、何か、とてつもない深遠なことが起こっているのが
わかります

これまでに録音されてきたそのガイダンスを、
ここにアップしていこうと思います