2014年8月13日水曜日

内側に向かう

2013年5月3日「内側に向かう」

口で、ゆったりとした呼吸をハートの中へと入れていきます

そして、手をゆっくりと広げて

胸を開いていきます

顔を少し上向き加減で、天に向かって、全てを開いていく

口から、甘い吐息を吐くように

そして、甘いネクターを吸い込むように、
ハートへと、そのエネルギーをたくさん取り込んでいきます

穏やかな、今日の日差しのように、
白い光のエネルギーはさんさんと降り注ぎ、
あなたはそれを、両腕いっぱいに受け取っていきます

皮膚の細胞ひとつひとつが、それを受け取るセンサーのように、
自分の感覚を研ぎ澄まして、
白い光のエネルギーへ、チューニングしていきます

あなたが開けば開くほど、あなたの振動数は高まり、
その光のエネルギーへと、波動をあわせていきます

あなたが十分に開いた時、
あなたはそのあふれかえる光のシャワーに、満たされ、
そのハートは喜びに満ち溢れます

呼吸とともに

真綿のような、柔らかな、あなたを包み込む光のエネルギー

あなたはとても懐かしい感覚、何かとても愛しい感覚

それはまるで、遠い旅をして、自分が生まれ育った国に帰ってきたかのように、
何か、ほっとする、安心感のある、温かい、安らぎの感覚

あなた方の求めているものは、全て、あなた方の内側にある

それを言葉では理解していても、あなた方はそれを本当には理解していません

あなたがそれを本当に理解した時、真の、内側への探究が始まります

あなた方には何度も、そのチャンスが訪れ、
何度も、そのチャンスを逃してきました

あなたが、あなた自身に本当に出会うことを引き伸ばすのも、オッケーです

けれども、真のチャンスは、それほど数多く来るものではありません

本当に真摯に、誠実に、内側にある宝へと
それを捜し求めていくこと

あなた方の魂はそれを、ずっと待ち続けています
その声に、応えていくこと

それが唯一の責任です
あなた方は、社会の中での、あなたの果たすべき責任を数多く教え込まれてきました

もう、それは十分に果たし、もし、それが、あなたが魂の責任を負うことを妨げてしまうなら、
あなたはそこで立ち止まり、よく考えてみる必要があります

ただ、外側の責任と、内側の責任は、決して対立するものではありません

本来は、内側の責任を果たした時、本当の意味で外側の責任を取れるようになります

責任を取るあなた自身がいないのに、どうやって外側の責任を取れるというのでしょうか

責任を取るべき、あなた自身を目覚めさせること

それが緊急の成されるべきことです

あなた方は、あなた方のマインドを説得していく必要もあります

今までずっと、外側のことに意識を、それだけが全てだと、生きてきた、
その、習慣的な考え、その習慣的な態度、習慣的な振る舞いを、自ら気づき、
そのマインドの習慣的なものを、落としていく必要があります

全く新しい次元へと旅立つ準備が必要です

本当に内側に入るということ、それがどういうことか、
このリトリートの中で、つかんでください

全ての、本質的な解決は、そこにあります

そこを迂回して、外側の問題を解決しようとするのは、
西洋医学の薬で、症状をただ抑えるだけのと、非常によく似ています

それは、その病を起こした本当の原因を、なんら解決していません

あなたは繰り返し、繰り返し、その病に罹り、ずっと、この二元の世界という病院の中で、
入院生活を送り続けます

あなた方の真の自由は、あなた方自身の内側
あなたという主体そのもの

そこに向かう以外、ありません

そのことを、あなた方自身のマインドに納得させる必要があります

その理解があなた方の血肉となった時、あなた方は真に道に入り、真に進歩し始めます

それは、何も、外側のことを何も楽しんではいけないということでは、全くありません

けれど、何かがシフトする

あなた自身の内側で、何かが完全に向きを変える

自分自身へと、完全に向きを変える

あなた自身が、真のあなた自身がいないという、その問題の大きさに本当に気づいた時、
外側の問題がいかに小さなものか、取るに足りないものか、あなたには気がつく時がきます

その時初めて、あなたは真に内側へと向かいます

自分自身がまだいないということは、どういうことか

あなたはただの、集合的無意識のそのひとつでしかないということです

あなたが今あなただと思っているものは全て、今まであなただと思ってきたものは全て、
集合的なものです

それは本当に個人的であるとはいえません

あなたがあなたのユニークさと思っていたもの、自分らしさと思っていたもの、
それら全て、集合的なもののひとつに過ぎません

あなたが真に、あなた自身を目覚めさせた時、
そのユニークさは本当の意味で花開き、輝きます

あなたが今まで送ってきた人生は、映画のようなものです

スクリーン上に映し出された、そのストーリーの中に、
あなたはその主人公だと思って、そのストーリーの中で、その中だけで、生きてきました

でも、本当のあなたは、そのスクリーン上の登場人物ではなく、それを見ている観客

そのことに真に気づいた時、あなたは人生のストーリーを、その執着から手放すことができます

それでもなお、そのストーリーは続き、あなたは、その主人公を、
パーソナリティというあなたの側面で演じ続けますが、
あなたは同時に、観客であること、
そして、真の自分こそが、それを見ている、
それを全て体験しているその者であることを知っています

あなたのその映画のストーリーが、もはやあなたを妨げることはなく、
それにとらわれることはなく、あなた自身はそのスクリーンとは違うところで、
完全に自由で、完全に愛に包まれ、神との一体の中で安らいでいる

こういったことを、言葉の上では、散々理解してきたことでしょう

もう、そのレベルでとどまらせている時は、過ぎ去りました

あなたがそれを、あなた自身に実現していく時・・・

* **

本当の自分に出会うという体験が、どれほど感動的なものか
その真の自分の姿を知ることが、どれほどあなたを満たし、あなたを解放し、
そして、あなたが求めてきたものを手に入れる

あなたの中の安堵、成就の感覚

それをあなたが、この生の中で、実現する可能性を持っている

それを無駄にしないこと

あなたが、あなた自身が神を体現すること

その可能性をなきものにしないこと

あなた自身を信頼し、
あなた自身とのつながりを取り戻し、
それを私達だけではなく、どれほど多くの存在が、
そしてあなた方自身が、そして、神が待ち望んでいるか

* **

あなた方の魂のその美しさ、その偉大さ

あなたというパーソナリティと完全に自己同一化し、それに執着するとき、
あなたはその真の姿を、知らずにいることがどれほど、どれほどもったいないか・・・

あなたの真のアイデンティティは、愛

それに、目覚めていくこと

そのアイデンティティ、真のアイデンティティを、現す・・・

* **

本当に自分自身に出会いたいという、内なる願いを持つこと

その渇望自体を、思い起こすこと

あなた方の、全てのフラストレーションの大本は、何か

それは、あなたが、自分が本当に何を求めているのかわかっていないこと

そこから、フラストレーションが起こっています

* **

私達は皆、幸せになりたいと願い、満たされ、充足し、安堵したいと、思っています

それを手にするために、あなたは外側の何ものかからそれを、
その空いた穴を埋めようとし、満たされない何かを満たそうとし、
外側の何かの条件によって、自分自身の幸せにしようとし続けてきました

そうしている限り、その願いが叶わない、いつでも、叶えられることがない、フラストレーションで、あなたはいっぱいになります

あなたは、求める先を間違っていたからです

あなたの求めているもの全て

あなた自身に出会う

その真のアイデンティティを通して、
その親である、『最愛なるもの』に包まれる

それ以外に、ないのです

そのことを真に理解した時、あなたの外側に対するフラストレーションは消える

ただひたすらに内側に向かう

たとえば、あなた自身が、誰か他の人の願いを全て、叶え、満たしてあげることができるでしょうか?

あなたに対してそれを求めてくる人全てを満たし、その人を完全に包み込むことができるでしょうか?

もし、あなたにそれができないなら、他の人にそれを求めることが無理であることを、
自然に理解します

誰一人、そんなことができる人など、いません

それでもなお、人は他者に求めてしまう傾向があります

それを完全に否定する必要はありませんが、
肝心なことは、自分が向かう方向、求める方向が違っていたのだと、知ることです

これは、ハートの大きなワークになります

マインドはそれを、なかなか承諾しません

あの人が悪い、この人が悪い
いつもそこにいこうとします

それはマインドにとって、居心地がいいからです

でも、それに、騙されない知性を持つこと

そして、そういうマインド自体を、否定するのではなく、
真の自分自身のスペースから、温かく包み込むこと

マインドとは、そういうものです

それの、本当の機能は、それを使って私達が真の自己へと到達するためのツールなのです

マインドそのものが悪いのではなく、マインドに主導権をとらせていることが、問題なのです

主導権をとるべきものは、真のあなた自身です

そこが、大きな落とし穴です

私達は、簡単にマインド自体を否定し、それを取り除こうとします

それは、決して成功しません

もはや、何をすべきかは、十分にわかっているはずです

それにどれだけあなたが、誠実に、真摯に献身できるか

あなたが、真摯に、誠実にそこに向かえば、必ず、恩寵はあなたに応えてくれます

私達は、産まれた時すでに、それらを成す全ての要素を与えられています

生まれたての赤子には、その全ての要素が備わっています

その後で身につけてきたものは、何の役にも立ちません

あなたは、後から何かを付け加える必要は何もないのです

あなた自身に到達するために、足りないものは、何も、ない

その忘れ去っていたものを全て思い起こす

あなたの内なる可能性を、本当に開いていく

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探究とは、スピリチュアルな事柄を探究するのではなく、
自分自身を探究すること・・・

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